富山湾を見渡す高台にあるドメーヌ
“ドメーヌ”とは、葡萄の栽培から醸造、熟成、瓶詰めまでを行う生産者や醸造所(ワイナリー)のことを指す。富山市の中心から車で1時間ほど、能登半島の付け根に位置する漁師の町、富山県氷見市。小高い丘をどんどん上っていくと、道が開けた先に葡萄畑や牧場が広がってくる。思わず通り過ぎてしまいそうな控えめな“SAYS FARM”の文字。「わざわざ見つけてきてほしい」と、大きな看板は設けていない。、富山湾と立山連峰を一望できるロケーション。100%自社原料のみの葡萄で生産されたワインと、海の幸も山の幸もいっぺんに味わえるレストラン。1組限定1棟貸しのゲストハウス。RC造のモダンな醸造所(ワイナリー)。さらに、作家もの器が並ぶギャラリー、暮らしの道具や農場産の加工食品などを販売するショップが農園内に併設する。そこでの居心地の良さが話題を呼び、東京をはじめ日本各地からこのSAYS FARM(セイズファーム)を訪れる人が後を絶たない。
ひとりの男の"ひとこと"から始まった
統括を務める飯田健児さんは、約10年前、五割一分を通してセイズファーム立ち上げのプロジェクトを聞かされた。このワイナリーを立ち上げたのは、地元氷見で江戸時代から続く魚問屋「釣屋魚問屋」である。ワイナリー事業がスタートしたのは、代表・釣 吉範さんの弟である誠二さんの「氷見の魚に合うワインをつくりたい」というひと言から。はじめは兄の吉範さんほか周囲の反対の声も多かったと言うが、次第に誠二さんの熱意が伝わり、飯田さんもその心意気に惹かれ、立ち上げメンバーの一員となった。
長く愛されるタイムレスな空間を
2007年秋頃、魚問屋の社員たちが本業の合間を縫い、朝は海へ昼は山へと通って半年かけて未踏の地を切り開き、葡萄畑をつくった。誠二さんと飯田さんは、オープンに向けて建築模型での最終確認からウェブサイトの立ち上げを含めたブランディングまで、五割一分との打ち合わせを急ピッチで進めた。「『暮らしの質』や『一度の食事』にこだわる人たちが集まる場所になれば...と思い描いた時、そういうお客さんにいかに長く支持されるものを作るか、その点での意思疎通は五割一分さんとはしっかりとできていました。私たちが思い描いたコンセプトに通じるミニマルな提案が多かったので決まるのも早かったです」と飯田さん。
苦難の時期
ところが、着々と準備を進めていたさなか、誠二さんの病気が発覚。2011年10月のオープンを控えていた春、誠二さんは建物の完成を待たず、静かに息を引き取った。計画中止も検討されたが、兄・吉範さんは弟の意思を引き継ぐことを決意。そこから10年、吉範社長はじめ、飯田さんら社員たちにとっては怒涛の日々だった。雨が多い富山では栽培に適さないと多方から反対され、自社畑のぶどうのみで生産したワインはコストが下げられず、日本酒王国の富山では販売にも想像以上に苦労した。それでも誠二さんの思いを継ぎ、前を向いた。売れずに悩んでいた時、吉範社長からは「最後は俺がなんとかするから心配するな」と声をかけられた。「よき理解者であり、本当に支えになりました」と飯田さんは感謝を隠さない。
「今でこそ“日本ワイン”という言葉ができて多くの人に親しまれていますが、当時はまだ長野、山梨以外では国内にワイナリーはほとんどない時代。認めてもらうまで、本当に時間がかかりました」。
品質を上げるためにぶどうの収穫時期や醸造の方法について試行錯誤を重ね、2017年には国産ワインコンクールで栄えある金賞を受賞した。「富山に美味しいワインがある」その噂を聞きつけ、長野のワイナリーのオーナーたちが大型バスで視察に訪れるまでになった。開拓当初から、除草剤を使用しないことや、必要最低限の農薬となるよう、循環しながら自然と人が共生できる農園を目指している。
思いを継いで広がる夢
現在は、シャルドネ、ソーヴィニオン・ブラン、カベルネ、アルバリーニョなど多種にわたるワインを年間約25,000本出荷しているが、今後は畑を広げ、4年後には倍の生産量を目指している。新たに蒸留酒のブランデー作りにもトライしたいと夢は広がる。
2014年にオープンした宿泊棟はゆったりとしたキッチン付きのリビングダイニングのほかベッドルームが3つの一棟貸しスタイルで、週末は県外客で予約はいっぱいだ。ステイできる空間ができたことで、食とワインを楽しみながら、時間を贅沢に楽しんでもらえるようになった。ここで結婚式をしたい、という需要にもスタッフ総出で応えている。
「氷見という田舎で、観光地の一端になるような場所を作りたいと誠二さんとよく話をしていました。畑とプレハブ小屋からスタートして10年。やっとここまで定着してきたかな」と飯田さんは微笑んだ。
DATA
SAYS FARM
富山県氷見市余川字北山238
竣工当時の写真はこちらからご覧いただけます。